我が家の庭

我が家の庭の見取り図です。
もともと絵心もテクニックもない私ですが、マウスで書くとますますひどいことになってしまってお恥ずかしいです。

でも、このベースがないとこれから先いろいろ説明するときに余計難しくなりそうなので、皆さんも我慢してくださいね。

黄緑色で囲ったところが我が家の敷地です。
すぐ横を流れているのは、一応小川と書きましたがごく小さなものです。

体の良い排水溝なのですが、悪臭を放つわけでもなく、せせらぎの音を聞いている分にはなかなか風情があります。

ごらんのようにA・B・Cの三つの区分に分けました。
いわゆる植物図鑑ではなく、我が家に存在するものを中心にご紹介してまいります。
ですからどこに咲いているのかということをご紹介したくて区分わけをした次第です。

この家は、80年代半ばに建った家で、当初地元の方が週末を過ごすために立てたのですが、
それを、テキサス出身の奥さんをもつイタリア人の外科医が買いとり、畑を庭に変身させました。

奥さんの希望でBの部分にたくさん丘を作りました。
確か5つの丘があったと記憶しています。

見て楽しむだけなら丘のある風景もいいのですが、子供とあそぶにはいささか邪魔になるので、
一番大きく緩やかなのを残し、もう一つ小さいのを石垣で囲んで花壇風にし、あとはほぼ平らにしました。

ただ、その後の持ち主が約12年間ろくに手入れをしなかったので、B・Cの部分には入れない状態でした。

Bの部分には、大きなヒマラヤスギが3本、モミノキが3本、白樺が9本、他にもニセアカシヤの大木や、プラタナス、かしの木などがあり、
それらにつたや茨などが絡まりついていて、まるで一塊の状態でした。

Cの部分は、果物の木が何本かあるのですが、9月に家の改装工事を始めたときには、
下草がひざの上まで伸びていて、とても足を踏み入れることができませんでした。

先端にあるブドウ畑も茨やアイビーに多い尽くされ、われわれはしばらくの間 自分ちにブドウ畑があるなどということを知らずにおりました。

家の周りもしかり。

門から玄関先までの道幅は今の半分以下で、普通車がやっと走れる状態。
3台も車が止まると敷地はいっぱいでした。

ガレージの後ろにも敷地があるなどと誰が想像したでしょうか。
古井戸が見つかったのもぶどうとキィウイの棚があるのを知ったのも掃除をした後のことです。

何とか動き回れるようにするために、プロの庭師が助手を連れて8日間かかりっきりで
チェーンソーとなたを使ってばっさばっさと切り開いていきました。

今度はその掃除でできた枝や茨やつたの山が家の両脇を埋めてしまいました。

幸い、市の清掃を請け負っているところが、廃材や剪定で出た特別のごみなども
連絡すれば取り除いてくれるということで、早速相談したのですが、一見して最初は断られました。

Paoloが何度も頼んでやっと引き受けてくれましたが、
「くもの手」と呼ばれる、大きなものをつかむものが付いたクレーン車と、大型ダンプがやってきて、ダンプはいっぱいになると捨てにいき、
その間も3人の清掃員が掃除を続け、何度か往復したものの、1日では片付かなかったので、いやがられたのも無理はないなと思いました。

次の回まで、又2週間ほど待たされましたが、やっとこさ終わったときには本当にほっとしました。

といっても、大物が片付いたに過ぎません。
庭は入ってみるとアイビーでぎっしり覆われており、これでは芝生どころか花も植えられないし、
足に引っかかって歩くのにも注意が必要でした。

それからは、毎朝子供を学校に送った後にここへ来て、アイビーを取り除くことに専念しました。
アイビーもしかるべきところにある分にはきれいで、年中緑だし手間もかからない良い植物ですが、
野性に返ってしまったようにそこらじゅうを覆いつくしているのは厄介なものです。

モミの木もかしの木も、アイビーを剥ぎ取ったときには「ふーっ」とためいきをつき 「ありがとう」といってくれたようでした。

そしてこの1年は体力の回復に当てたのか、花など見なかったのですが、
今年になって庭にある灌木の多くに花が付いてきました。

では、これから折に触れ、我が家の庭の住人をご紹介してまいりましょう。

 


丸花壇:クロッカス


丸花壇:チューリップ


三角花壇:クロカッスとヒヤシンス
クロッカスはイタリア語では『crocco』(クロッコ)。

春一番に咲き出して庭に彩を添えてくれます。
このクロッカスの仲間からあの高級なスパイス「サフラン」が取れます。

このチューリップは義妹がオランダから買って来てくれました。
ちゃんと咲いてくれるか心配でしたが、これで義妹への顔が立ちます。
そうそうチューリップはイタリア語では『turipano』(トゥリパーノ)です。

最後に『泣いているぶどう』(写真省略)
実はぶどうの剪定の時期を逃してしまって、本当は1,2月に終えなければいけなかったのですが、
今年の冬は寒さが厳しかったので、ついつい先延ばしにしていたら切り口からどんどん水が流れ出て、
義弟のフィアンセで園芸家の彼女に言わせると泣かせてしまった ということになるのだそうです。

ぽとぽとと水滴が落ちるさまは本当に泣いているようだし、それだけ地下から水を吸い上げているのかと思うと
改めてぶどうの生命力の強さに感心しました。

食べるぶどうは『uva』(ウーバ)ですが、 ぶどうの木をさすときは『vite』(ヴィーテ)といい、命に当たる『vita』と同じ。

地中海で暮らす人達にとって『ぶどう』がどれだけ大切か伝わってきますね。

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